書斎から

どうしてこれを書くのか

2020 年の末から、ベランダ園芸に身が入っている。「もう定年?」なんてジョークを言われたこともあるくらいである。はじめたきっかけは 2 つある。

  1. まず、緑が好きだから。たとえば緑豊かなレストランを通り過ぎるときや、野菜が並ぶホームセンターではどこか魅力を感じて、いつのまにか足を止めてしまう。ハイキングなどで森の中を歩くときも気持ちはいいもので、どこか気持ちが惹かれるのである。そこで手元で始めてみることにした、というわけである。

  2. かなり先の未来にこんなものがあったらいいな、と思いついたアイデアによるものである。その未来とは、多くの車が完全自立運転機能を搭載し実用化されたときのことを指す。一見まるで緑とは関係ないように思えるかもしれない。しかしそんな未来を想像すると、ある 1 つ決定的に変わると思われるものがある。

    それは、今ある駐車場のスペースは使われなくなることだ。なぜなら現在の車のうち、90%の時間は停車しているから。もし、停車しなくても他に使い道があれば(たとえば、ずっと車を回してタクシーとして使用するなど)、オーナーにとっても運転させ続けるほうが経済的に理にかなっているに違いない。そうするともちろん駐車場は使われなくなるので、余った土地を何かに有効活用したくなる。

    ではどのように使うのか?ここに、緑化に一票を入れたいという結論である。緑が増えた東京の街はもっと帰ってきたくなる都市になると思う。でも漠然と指す緑とは森林のような樹木を指すのか、庭園のようなものを指すのか、それとも農業用の畑を指すのか?活用の仕方もさまざまで、鑑賞するのか、それとも食用とするのか?まずは一緒に暮らすことで見えてくるのではないか、と考えた。

私は都心に住んでいるからこそ、どんな緑が欲しくなるのかというのは、自分で作って一緒に暮らすことによって初めて明らかになるものだと思う。所感をまとめ上げることで、他の人からも違う考えをもってもらったり、どんな緑と暮らしたくなるのかを想像する機会になってもらえればと思うのである。

1 年間くらい一緒に暮らしてみて気づいたこと

というわけで何かと園芸を始めたのが去年の夏過ぎ、しばらく時間が経ったので、2つのきっかけを元に振り返りをしてみたい。1 つ目のきっかけ、ただ好きなのはそもそもどうしてなのか?いくつかそれらしい答えが見つかったので書き留めてみる。

  1. まず一緒に暮らしてみて大きく感じたこと、それは緑が目にもたらす優しい景色が家をさらに家らしくしてくれることであった。

    暑い夏、大きな樹木の木陰では涼をとれるし、喧騒の中に静けさをもたらしてくれる。窓越しに慣れ親しんだ緑にはどこか、戻ってきたくなるような気持ちを覚えるのだった。僕の部屋は西向きなので、昼過ぎになると日が差し込んでは影を作りだし、風に靡く様子もまた落ち着く。こうして緑は、自宅をより居心地の良いところにしてくれることに大きく役立っている。

    仕事柄よく在宅勤務をするようになり、自宅で過ごす時間もかなり増えている。カフェで仕事をしようと外に出向いてみても、結局は一番居心地が良いところを求めて家に戻ってくることが多い。また仕事でなくても、緑豊かなカフェに行くと自然と好感が湧くのも一層うなづけるし、モダンで大きな会社では緑が身近な場所にあることにも納得がいくのであった。

  2. 家にもたらしてくれる刺激の 1 つとしても、緑は大きな役に立っている。猫や犬と一緒に暮らすとわかるように、植物の習性も垣間見ることができるようになった。春先に公園に出向くと桜が満開になっていたり、秋の真っ只中に紅葉に色づいてく緑に気づくことに近しいと思う。

    一瞬止まっているように見える植物は、ただ人の時間軸で暮らしていない。毎日朝に水をあげるたびに、芽を出したり、色が変わったり、場所によって葉の先端が枯れ始めていたりする。いつのまにか大きくなって背を抜かしたり、茎に触れただけではっきりとわかるトマトや、鼻をくすぐるラベンダーやタイムの香り。五感に訴えるような体験は、デジタルなエンターテイメントに慣れた僕にとって新鮮だと感じる。

    また育て方にもよるが、新鮮な野菜を調達しては食べることしか味わえない体験でもある。ネギ、オレガノ、タイム、パセリ、ローズマリーといった香草系は虫もつかずよく育つ。また朝ごはんに欲しい、ちょっとした味噌汁の具材としても使えたりして、いちいち買い足さなくてもよくなる。必要な分だけを収穫して食べることができ、冷蔵庫のスペースも節約できる。

    さらにコンポスト用の苗を 1 つ作り、普段の食事で出た茶葉やコーヒーの殻やバナナの皮、野菜の皮などのゴミを土に住むシマミミズへ与えることで、肥沃な土に繋がる。普段はゴミとして捨てているものが、新しい命の始まりに回っている様子を見ることは楽しいものである。

  3. 最後に、僕 1 人でなく他の人からの意見ももらって気づいたことがあるので書き留めておく。僕はシェアハウスに住んでいて、いろんな仕事を持つ人と一緒に暮らしている。そのため皆の共通の話題というのは仕事の外にあり、多くの場合はイベントだったりこの地域の話だったり、食事だったりすることが多い。そんな中で園芸の話をしたり庭を見せたりすると、肯定的な意見を貰うことが多いのである。つまり職種の垣根を超えて、人は好感を覚えるんだなと肌感で思った。

難しさ

また一緒に暮らすことによって、気づいた難しさがあるのも事実であるから、これも一緒に書き留めておく。

以前、緑と本格的に住む前には「植物は苗に移して、あとは水をやるだけ」と思っていた。でも一緒に住んでみることでそれだけに収まらない難しさがあることに気づいたのでまとめてみる。

  1. 日当たり 結局ほとんどの野菜は、室内の日当たりでは足りず直射日光が半日以上当たる環境にいる必要がある。
  2. 十分な水やり なんだかんだ毎日のように水をやるのは面倒になってしまうし、旅行などで長く家を外す時には友人に頼んだりする必要がある。体験としては水やりもいいけれど、保持には水やりの自動化を検討する必要があると思う。
  3. 苗の大きさ選び 植物の大きさは苗の大きさによって決まる。高く成長することには強風が吹いたときに風を受け止める表面積が増加し、その結果倒されてしまうリスクが発生らしい。そのため、十分に大きい地面には相応の広さの根を張ってこれに備えるが、苗の大きさが頭打ちしているとその分高さも頭打ちする。結果、収穫量などに直結する。 その反面で、ベランダで育てる苗の大きさにも限界があるし、移動させたり管理することが難しくなる。収穫量とメンテナンス、スペースの塩梅は探り探りである。
  4. 収穫の絶対量 普段の食生活を支えるほどの野菜の収穫量には到底届かないことは、始めてから 3 か月も経てば明らかなことだった。だからこそ農家さんの作った農作物が、スーパーに行けば数百円で手に入る事実には、あらためて感謝を覚えるのであった。
  5. 苗の中での多様性 例えばトマトとバジルは、お互いに過不足となる栄養素が補完関係にあるらしい。マメ科の植物は「根粒」という特殊な器官によって植物の五大栄養素のうち1つである窒素を、空気中から地下に固定する。キク科の植物は、たとえばセリ科に寄りやすい虫を退ける特性がある。異なる科目の植物を混植し、多様性を保つことで相互の成長を促進できる(ローズマリーなど、中には混植を避けた方がよい苗も存在するが)
  6. 虫対策 アブラムシは大量に発生する。あっという間に増殖し植物を埋め尽くしては水分を取り除いてしまい、結果的に植物は枯れてしまう。農薬を使うか、地道にガムテープなどをつかってとっていくか。結果、飛ばないナミテントウという天敵生体を使う方法を実行した。結果アブラムシを駆除できた反面、高価であったり、一部ネットが必要になったりして場所の制約をうけてしまう。

2 つめの観点について

これまでの話から、緑と住むことのどんな側面に喜びや和みを覚えるのかがよりはっきりとしたし、またどんな課題が残るのかも明確になった。これらはこのような近未来のサービス実用化の考察にむけて、良い開始点になったと思う。これからも緑と暮らし続けることで視座を深め、夢のようなサービスに取り組むきっかけになればいいなあと思うのであった。

まとめ

この投稿を読んで、少しでもベランダで菜園を始めてみようという気持ちに傾いてくれたら幸いである。まだまだ僕も初心者であるし、これからも知見を共有していきたいと思う。

東京はとても好きだけれど、今よりも緑が増えたこのまちはもっと良い街になると思う。自動運転が進んだ世の中で空いたスペースに緑が増え、また電動化が進むことで荒れ狂う内燃機関の音も少なくなり、より閑静化するであろう。東京をどんな街にしたいか?という質問はいわば真っ白のカンヴァスを手にするようなもの。緑はそのカンヴァスに、人の心の拠り所になるような色を与えてくれるに違いない。



参考文献: ベランダ菜園, 植物は<知性>をもっている 20の感覚で思考する生命システム, 樹木たちの知られざる生活 森林管理官が聴いた森の声 (ハヤカワ文庫 NF)